和木の財政力が強く勢いがある頃、有名な作詞家 石本美由起(男 大竹出身 憧れのハワイ航路・矢切の渡し・港町十三番地・いなかっぺ大将・カープ応援歌・大竹音頭 他3500作詞)と
有名な作曲家 遠藤実 (高校三年生・星影のワルツ・こまっちゃうナ 他多数)に和木町民歌や
和木音頭を依頼している。
昭和38年 国体が和木で行われるに合わして石本美由起先生の全面協力と教育委員会が力をあわして
作りました。現在の中学校の体育館でこまどり姉妹による発表会も盛大に行われました。
作詞家 石本美由起先生 大竹市出身 患者さんで石本先生の同級生の方が以前来られて
同窓会を先生の日程に合わしたらいつも来てくれたそうです。(石本美由起で検索)
大竹市の亀井城跡に歌詞を刻んだ石碑が沢山あります。
昭和38年 当時は村でした 和木村民歌 瀬戸内海の〜 歌い手は 三鷹 淳(みたか じゅん)宇部市出身で検索
コロムビア・ローズで検索
和木音頭 和木を見たさに〜 こまどり姉妹が歌っている。歌詞から当時の繁栄がわかり地元を熟知しているのがわかる。
歌い手 こまどり姉妹で検索
四境の役
小学校の川沿いの道路にある 幕府との戦いの始まり
なぜ長州藩が幕府と戦えた理由 倒幕の先頭にたった理由
@ 長州藩の財政を立て直した村田清風が公内借捌(くないしゃくさばき)法と越荷方(こしにがた)商社を別会計にしていたのでお金があった。 新兵器が買えた。倒幕できる方法があった。
A 毛利の殿様が関ヶ原の戦いで契約の判子が無いと徳川家康から難癖を言われ領地の大部分を没収され長州藩だけにされ外様にされた。恨みが260年あり幕府が弱るのを待っていた。倒幕の理由があった。このあたりの歴史は面白い。身内の確執もあり岩国藩が3年しかなかった理由も分かれば楽しいですよ。
B 江戸幕府から遠いので水面下で自由に学問できた。松下村塾
C 薩摩藩は調所広郷(ずしょひろさと)が財政改革しお金があった。薩摩藩も遠くの関係ない城を幕府から作らされたりして恨みがあった
。薩摩と長州は対立していたが竜馬が長州の米と薩摩が水面下で輸入した銃を初期に交換して同盟が自然に出来た。
川沿いの道路にある封境之地の記念碑にある説明書
この道は大名行列も使用し 維新軍が幕府に攻める時も使用しました。
長州と幕府の陣営
幕府が大竹まで攻めて来ました。
第二次長州征伐で維新軍と幕府軍の戦争で燃える(彦根藩士が逃げる時に火を付けました)大竹(木野・大竹・中津原) 四境の役の石碑が和木にあります。
関戸を通って吉田松陰が江戸に運ばれる時に詠んだ歌 小瀬川を渡るのも最後と無念が伝わります。昔の関戸の入り口にあります。
上の石碑の説明
昭和10年 田中明神例祭 のどかさを感じます 旧幼稚園の隣あたりにありました。 射撃場を作る為に軍が今の位置へ移転した.
小瀬川でのりを養殖している。戦前までしていた。
井堰の歴史
江戸時代からのいせき
昭和27年 いせき 工事
すでに無い旧いせき 現在は新しい、いせきが新設されています。
いせきの近くにあった木でできた仮橋 現在はコンクリ製
平成6年2月 井堰完成 木製の仮橋も鉄骨製に
この先工事中 Thank you また見てね ブログもよろしくお願いいたします。
特許権の切れた薬を他社が模倣して作った薬です。光学異性体等の成分が先発品とは少し違います。少し安価で国も推奨しているので
信用のある薬を選び使用しています。
歯の漂白の事で利点と欠点があります。
利点は歯が白くなり精神的そして他人に好印象を与えます。
欠点は自由診療(保険がきかない)・歯がしみる時がある・漂白の後戻りと言って1ヶ月を過ぎると少しずつ着色し6ヶ月位で元の色に戻る場合が多い。コーヒー・カレー・たばこ等の色が歯に吸収されるからです。全ての歯に効果があるわけではありません。白くなる程度・漂白の後戻りも個人差があります。作用機序は
過酸化水素でエナメル質表層の着色有機成分を分解して脱色します。
今の所、歯にも自然治癒能力があるので適切に行えばホワイトニングで歯質が弱くなるというエビデンスはないと結論付けられています。米国で流行し、カリフォルニアホワイトという言葉があります。
適応症(効果がある 個人差があります)
加齢による変色歯(黄ばみ) /コーヒー・茶・タバコなどの変色歯 /軽度のテトラサイクリン変色歯 /Feinmanの分類でF1とF2程度
色素生成細菌による変色歯
禁忌症(使用不可)
知覚過敏の歯(しみる歯)・虫歯・象牙質が露出している歯 左の3つは直れば可能
13歳以下・妊婦・授乳中の母 臨床試験がないためです
〒740-0061
山口県和木町和木1-14-10
TEL 0827-52-8100
FAX 0827-54-0810