登山が難しい方の為に、自転車(マウンテンバイク)で2時間30以内に行ける山から見た素晴らしい風景を載せました。
昔の写真も載せました。(昔の地元の写真募集中 ここで展示します)自然に帰ることの大切さを痛感しています。
おおごうらの頂上から見た風景 おおごうらの頂上にある大きな池(人工の貯水池で山の畑
大島や四国も見えることがあります。 に利用されていました)もう一つの貯水池は氾濫してありません
おおごうらの頂上から 大竹市が良く見えます 経小屋山から見た宮島 いかだが見えます
経小屋山(596m)から見た風景 経小屋山の頂上の公園にある説明板 車でも上がれます
傘山(649m)からの風景 傘山から見た手前の大竹市と遠方は和木町
傘山に行く途中にあるテレビ反射板 幅8メートル 飛行機山から見た風景
大正時代にここに飛行機が衝突しました。松ヶ原の団地から 大正時代 飛行機山で墜落殉職した大尉の記念碑
行けます。
美和の方に行くと山道の途中にある松尾峠にある御茶屋跡 岩国往来 長谷(美和町)の入り口 明治の頃まで、赤い
これは茶屋の基礎の石です。御茶屋は昭和初期まであった 目をしたオオカミがいたので火を持参して歩いたそうです。
そうです。当時はウサギ道と言っていました。
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小学校の川沿いの道路にある 幕府との戦いの始まり
川沿いの道路にある封境之地の記念碑にある説明書
大和橋の歴史
江戸時代末期の地図(慶応2年)にはすでに土橋(大和橋)があります。長州征伐を警戒して長州が破壊
大和橋のふもとにある説明書
大正13年撮影 明治13年大和橋竣工 大正14年8月31日流失 幕末にはすでに土橋がありましたが長州征伐を警戒して
破壊。その後の橋(2代目)がこれです。今の橋より17m位上流にありました。昔の船が見えます。ハイカラさんが日傘をさし
ています。誰でしょうか?お洒落に思えます。(大竹側 大和病院あたりから撮影) 望戸 氏 提供
大正初期の風景 後方は木造の大和橋でその付近には京阪・九州・広島方面への回船が風待ち・潮待ちしている
昭和10年頃姿を消した。綺麗な川で有名でした。
大正15年2月 今の場所に大和橋(3代目)が竣工 掛け替えの準備をすでにしていたので6ヶ月でできました。 2月なのでうっすら雪が山にあるように見えます。(和木側 大和橋歯科あたりから撮影) (和木町史より)
大正15年 2月 大和橋竣工 大竹側から撮影
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昭和3年11月撮影の大和橋(大正15年2月に完成 平成8年まで使用) 大正時代のロマンスがまだ感じられます。
場所は現在の大竹側大和病院の大和橋近く ここには木が数本ありました。
3代目の橋も昭和26年ルース台風で流失し1年半かかり修復して平成7年まで使用 現在は4代目の橋
近所の方が沢山、橋の上に見に来ている。渡し船が復活した。(大竹側 橋の下流から撮影)
現在の大和橋(4代目) 平成7年から
昭和10年代 大竹側の現在の信号機から大和橋を撮影 なぜか優雅に見えます。左側にチドリ薬局の看板がある
その横の看板は、読めないのが残念!
昭和13年 夏の風景 中央は水田邸 古江組木材の木が右に見える 大竹市側大和橋の下流3軒目あたり
現在は道より川側は立ち退きの為、川の中の位置になります。(村井氏 提供)
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工事中